仙台市八幡町の高台に鎮座する名刹龍宝寺境内の南斜面に、いつも11月に入ると鮮やかに黄葉するエノキの大木が眺められる。この斜面は段丘の先端部にあたり、勾配はきついが人口の稠密地帯にあるため、昔から住宅が張り付いており、くだんの榎もその中のとある宅地の一隅に聳えている。
エノキ(Celtis sinensis var. japonica)の樹形はケヤキに良く似ており、ともにニレ科に属している。ケヤキと同様、北海道を除く日本全国に分布するが、ケヤキはブナの生える奥山でも見られるのに対して、エノキの分布域は沿海部や里山地帯に限られ、高地には出現しない。
エノキもケヤキに劣らず大木に育つ。このため、ケヤキの代替材として建築や家具などに利用される。また、県内では農家を囲む屋敷林(居久根)の主要な構成種でもある。
エノキの大木にまつわる話として、徒然草の第45段に「大僧正の榎」がある。腹黒で短気な良覚僧正の住房の傍らにエノキの大木があったので、人々は「エノキ僧正」と呼んでいた。僧正は、この名はけしからんと言ってその木を伐ってしまった。しかし、根は残ったので今度は、「きりくい(切り株)の僧正」と呼んだ。僧正はいよいよ立腹して、切り株を掘り起こして棄てたところ、その跡が大きな堀になったので人々は「堀池の僧正」と呼んだという内容である。
エノキの語源については、枝(エ)の多い木であるからエノキ、家具の柄にするからエノキ、生木でも燃えるので燃エノキなど諸説があり定かではない。ただし、燃えやすいことは確かで、薪材としては重宝されてきた。県内では、ヨノミやヨノキの方言がよく使われている。
慶長9年、徳川2代目将軍秀忠公は、東海道など主要道の道標にエノキを植えるように布令を出した。これが一里塚の始まりで、以来各地にもこれが普及し、一里ごとにエノキを植えるようになった。
ところで、榎という字は国字であるが、この字の由来に関し、夏の木立を一里塚として作り、ここで涼を入れたので木へんに夏と書くとする説がある。しかし、10世紀初めに出たわが国最古の辞書「和名抄」には、既に榎の字が載せられているので、この説は怪しいものと思っている。
エノキの葉身はケヤキよりやや幅が広く、楕円状卵形で縁には低い鋸歯がある。革質で少々ざらつくが、国蝶オオムラサキの大好物である。初夏、淡黄色の細かい花が新葉とともに開き、雑居性といって雄花と両性花の両方をつける。雄花は、新枝の下部に集まってつき、両性花はその枝の上部の葉腋に1個または2個束生する。花後、小豆粒ほどの核果を結び、秋には赤褐色に成熟する。この実には甘味があり、野鳥が群がって食べに来る。
万葉集には次の歌が収められている。
私の門口にあるエノキの実を食べているたくさんの鳥、いろいろな種類の鳥がやってくるけども、あなたは一向に私のもとには来てくださらないのね、と恋人の訪れを待つ女性の歌である。
俳句では、「榎(えのき)の花」を夏、「榎(え)の実」を秋、「榎(えのき)枯る」を冬の季語としている。
これらの句には、細かく小さなエノキの花の散る様子を描写したものであろう。
初めの2句はエノキの実を食べに来る野鳥の習性を表わしており、3句目は堂々たる樹形に似合わない小さな実を嘆いている。