節分の次の日が立春で、この日から春の季節に入る。しかしこれは暦の上だけのことで厳しい寒さは当分続く。それでも春を迎える喜びは、北国であるほど強く感じるものである。八幡町郊外の雑木林は、いま、梢頭で盛んに芽ごしらえの準備をしているが、民家の庭先に植えてあるミツマタのつぼみも大きく膨らみ、あと少しで見頃を迎えようとしている。ミツマタの花は、永い冬との訣別を告げる春の使者である。
高級和紙の原料となるミツマタは、それを目的に栽培されてもいるが、宮城県ではもっぱら庭木や公園樹として利用される。漢字で三椏、または三叉と書き、サキクサ(三枝)は古名である。
異名の黄瑞は、花がジンチョウゲに似ていることからきた名で、中国でもこの字を使っている。
ミツマタは背丈が2mぐらいになるジンチョウゲ科の落葉低木で、樹形はおおむね半球形になる。粗生する枝はやや太くて黄褐色、夏になると今年伸びた枝の先端が急に三又に分かれる。ミツマタの名はこの特徴に由来する。葉は互生につき、長楕円形で、長いくさび形になって柄に変わる。葉質はやや薄く、両面に絹毛が密生し、鋸歯はない。秋になると今年枝の上部に銀色のつぼみをつけ、これが翌春早々、花弁のない筒状の30~50個からなる集合花になる。
はじめ銀色をしているが、全開すると黄金色に変わり、まるで小さな蜂の巣のように見える。文人、長塚節は「枝ごとに三又成せる三椏のつぼみを見れば蜂の巣のごと」とミツマタの特徴を歌にしている。
ミツマタは中国原産でわが国には慶長年間(1596~1615年)に渡来したとする説と、もともとわが国の西日本に自生していたとする説がある。自生説は万葉集にのる次の歌を根拠とする。
柿本朝臣人麿の歌集から収録されており、「春になれば真っ先に咲く三枝のように、今が幸せであるならば後で逢うことができよう。あまり恋に心を苦しめるな吾妹よ」と、男が恋人に語りかけている歌。
さきくさの「さき」を「幸福」のさきに懸けており、また第1句目の「春されば」は、古語の春がやってくればのことで、spring has comeと同義である。
わが国の紙幣は主にミツマタの繊維を原料として作っている。物の本によると、紙幣を製造するまでのおおよその工程は、次のような手作業によって行われる。厳冬の時期、山や畑に栽培したミツマタの枝を刈り取り、これを束ねて大釜に入れ熱湯で茹で上げる。釜から取り出したあと、皮を剥ぎ、鬼皮と呼ばれる表皮の部分を包丁で削り取る。そうすると白い内皮の部分だけとなり、これを竹竿に掛け、寒風にさらして乾燥させる。十分に水分を抜いてから束ねて、そのまま大蔵省印刷局に納めるのである。
ミツマタの繊維はコウゾやカジノキと比べ細く粘り気があり、折り曲げに強い。印刷局ではこれにマニラアサなどと混合して紙幣を作る。因みにミツマタの枝一本で一万円札が10枚作れるといわれる。静岡・岡山・高知県の山村では、今でもミツマタの栽培が盛んに行われている。
俳句では「三椏の花」や「三椏」が春の季語である。江戸期の作は見当たらないが、近世の俳壇では次のような句が知られる。