表題に掲げたハリエンジュは正式な和名である。しかし、それがどんな植物なのかを知っている人は意外に少ない。実は、その正体こそ、アカシヤの名で誤用されているなじみ深い植物なのである。
この樹木がわが国に渡来したのは明治11年のこと。これを見て植物学者の松村仼三博士は、ハリエンジュと命名したが、同じ頃、林学の大御所本多静六博士は、ニセアカシヤと名づけた。こんな経緯からか、植物関係者はハリエンジュ、林業関係者はニセアカシヤと呼ぶ傾向にある。因に万国共通で使用される学名はRobinia pseudo-acaciaで、その小種名は「アカシヤに似て非なるもの」を意味するので、本多博士の命名に軍配が上がる。だが、「にせ」という非情な言葉を冠するのは好ましくないとする思わくからか、植物分類上は、和名ハリエンジュ、別名ニセアカシヤと併記している。
ハリエンジュは、北米大陸のロッキー山脈以東の地を原産とするマメ科の落葉広葉樹。明治初期にフランス経由で持ち込まれ、以降、アカシヤの名で街路や公園に植栽され親しまれてきた。初夏に芳香のある純白の花を飾る「アカシヤの並木」は、札幌など各地に新名所を作り、その花が雨にうたれる抒情的な風情は「アカシヤの雨」と表現され近代文芸や詩歌に取り上げられている。
北原白秋は童謡「この道」の中で、 ♪アカシヤの花が咲いている♪ と歌い、また次の短歌も作っている。
「アカシヤの雨」といえば、1960年台の初頭に大流行した西田佐知子の「アカシヤの雨がやむとき」という歌謡曲も有名である。
甘くやるせない歌声は今でも耳に残っている。歌手はタレント関口宏の奥さんである。
ハリエンジュは、このようにアカシヤの名で定着しているが、本物のアカシヤは別種として存在する。同じマメ科の常緑広葉樹で、オーストラリヤを中心に分布するアカシヤ属の植物の総称を言い、約600種あるといわれる。黄色系の花を咲かせるものが多く、その仲間であるミモザなど数種がわが国に輸入され、庭木に植えられている。
ハリエンジュは成長が早く、20年生で樹高は20mに達する。ただし早熟早老で25年過ぎると成長は著しく衰える。樹皮は淡褐色で網状の裂け目があり、材は硬く良質な木炭を生産できる。このため一時、薪炭生産用に植栽されたこともある。枝に托葉の変化した刺があり、枝につく葉はエンジュに似て奇数羽状複葉、つまり、羽軸に4-10枚の小葉が対になって並び、先端にも1枚の小葉がつく。花は5月下旬~6月上旬に咲き、葉腋に総状花序をつけて下垂する。花弁は白色の蝶形で、最近はこれをてんぷらにして食べる人も多い。果実は平たい長楕円の鞘となり、内部に4~7個の種子が入る。
俳句でも一般にアカシヤの花として詠まれ、初夏の季語である。
第3句は、足の踏み場もないほどに散り積るアカシヤの落花を詠み、4句はいかにも現実派の巨匠らしく正確な和名でその花ざかりをうたっている。なお最後の句でもわかるように、アカシヤはトチノキやレンゲとともに養蜂業者にとって重要な蜜源植物なのである。
ハリエンジュは、窒素を固定する根瘤菌を持つので、どんなヤセ地にも育ち、病虫害にも強い。このため崩壊地の復旧や荒廃地の改良にも導入され、大きな成果を挙げてきた。本県では大正初期に江合川や白石川の上流の治山工事にこの苗木を利用した記録が残っている。特に戦後の荒廃した山地の復旧には大々的に利用され、まさに救国の緑化樹種としてもてはやされたものである。
ところが旺盛な繁殖力が仇となり、近年では耕作放棄地や河川敷にも侵入し、植生の改変に伴う種の多様性の低下や、河道の流下能力の減殺による洪水の発生などの理由により、厄介者として取り扱われるようになった。このようなことから国では、今後抑制するべき有害な外来種のリストにハリエンジュの名を挙げている。
かつての救世主に対し、あまりにも身勝手な論理のようであり、また既得の地域産業である養蜂業者からも猛烈な反対運動が盛り上がっている。