八幡3丁目にあるバス停「龍宝寺入口」の近くに、ずんぐりとした庭木が立っている。直径が 50cmを越すというのに樹高は6m足らずで、枝や葉も上部に少ししか付いていない。幹の太さから推定すると樹齢は100年に近いはずだが、背丈がこのように低いのは、強い剪定を繰り返し行っているからである。この庭木の正体、実はシラカシというブナ科の常緑樹である。
先日、本誌の読者からこの木に関する問い合わせがあったこともあり、今月は、このシラカシを季題として取り上げてみた。
ブナ科コナラ属のうち、常緑性のものをカシ類と呼び、わが国には、変種を含めると約20種を数える。東北南部以西に分布する照葉樹林(暖帯性常緑広葉樹林)の主要な構成種で、県内にはシラカシ、アカガシ、ウラジロガシ、アラカシが自生しており、これらは、分布限界種(北限)としても注目されている。
カシの語源はカタシの中略で、材の堅いことに由来し、漢字の樫は、その合字、橿もまた強い木の意味を持つ合字である。なお、単にカシといえば、東日本ではシラカシ、西日本ではイチイガシを指しており、これは資源の賦存状況や利用状況などの地域性によるものである。
東日本に多いシラカシ(Quercus myrsinaefolia)は暖温帯の丘陵地に自生する雌雄同株の常緑高木。防火、防音、防風などの機能を持つので社寺や公園、人家の周りに植えられ、特に関東平野の屋敷林は有名である。
樹高は通常20mに達し、樹幹はすらりと伸びるのが本来の姿。材質は強靭で、昔は槍の柄、木刀などに使われていた。
葉は互生し、葉身は狭い楕円形で、上半分だけに鋸歯が付く。表面は濃い緑色だが、裏面は粉白色を帯び、これがシラカシの名の出所とされる。
花期は5月、雄花は3~5本の尾状花序を作り枝に垂れ下がり、雌花は新しい枝の先に小さな花序を直立させる。ドングリは年内に熟し、長さ1.5cmの楕円形で殻斗には6~8層の輪がつく。
カシの名は、わが国最古の古典「古事記」の中に見ることができる。21代雄略天皇が、美和川(奈良県桜井市)のほとりを散策中、川で衣を洗う美しい乙女(赤猪子)を見て、「汝、嫁(とつ)がずてあれ、今喚(め)してむ」と、妻に娶る約束をして別れた。赤猪子は、天皇からのお召しを今か今かと待ちわびるうちに80年の歳月を経過した。瘠せ衰えた赤猪子は意を決して宮中に参上し、天皇との約束を守り、今まで待ち続けたことを申し上げた。天皇はいたく驚き、
と歌われた。三輪神社にある白橿よ、そのそばに近寄りがたいように、いや、近寄るのも恐れ多い白橿原の乙女よと、歌で赤猪子を憐れみなされたという。雄略帝は142歳で崩じられたと古事記に記載されている。
万葉集巻10に収まる柿本人麿の歌である。白橿の枝が撓むほど雪が降ったので、山の道も雪に埋もれてわからないほどだと、山中の雪景色を描写したもの。万葉集には、この他、額田王(ぬかたのおおきみ)の「莫囂圓隣之」で始まる超難解な厳橿の歌や、上品な衣を着て独りで橋を渡っている美しい女性も、橿の実が一つずつしか成らないように独り寝をしているのだろうか、と詠む高橋蟲磨の長歌(巻9・1742)も入首する。
古歌で白橿や厳橿と歌われる橿は、現代の俳句歳時記では樫でほぼ統一されている。ただし、季語に用いる場合は、新葉が生え代わる初夏を樫若葉、ドングリが実る晩秋を樫の実として詠まれる。
照葉樹と呼ばれる樫の葉は、表面にクチクラ層が発達していて、光沢があり濃緑色。しかし、初夏に勢いよく生え代わる若葉は黄金色を帯び、柔らかみがある。
この2句は、樫の実の落下に騒々しい鶏と、悟りを開いた聖者を並べて、動と静を表現したつもりである。
ついでながら、カシ類のうち、開花した年の秋に実を結ぶのが、シラカシとアラガシ、翌年の秋までに結実するのが、アカガシとウラジロガシである。