牡丹刷毛のようなネムノキの花が咲き始めると、梅雨明けは間近かである。八幡町四丁目付近から郷六にかけての広瀬川川岸は、ネムノキの自生密度が高く、国道48号の車窓からも、その淡紅色の花盛りを見ることができる。
ネムノキの葉は大型の羽状複葉。対生する多数の小葉は開閉運動を行い、夕方は閉じる。この現象を「眠る」に見立て、「ねむり木」の異名がある。中国では「合歓木」と書き、我が国でもそのまま当て字として使われている。合歓とは、同じ褥に寝ることを意味する。
ネムノキは正式な和名で古くはネブ、またはネムと称した。ネムノキの催眠現象は、万葉人も気付いていたようで、つぎの歌が詠まれている。
昼は花が咲き、夜は慕い合って葉を閉じるネムノキを、君(主君、つまり紀女郎のこと)だけが見てもよいものでしょうか。わけ(やっこさん)、あなたもその様子を見なさい、と年下の家持をからかっている歌。
紀(きの)女郎(いらつめ)は皇族の安貴(あきの)王(おうきみ)と結婚したが、養老末期、王が女性問題で勅勘(ちょっかん)を蒙り追放処分になった。一人身の紀女郎は退屈しのぎに家持の来訪を促したのであろう。しかし家持はこの申し出に対し、
私に下さったこのネムノキは、花だけ咲いて、もしかすると実を結ばないのではないでしょうか、と断りの歌を贈り返している。
ネムノキの花咲く風景は、夏の風物詩として古来、詩歌に多く歌われているが、芭蕉が象潟(きさかた)の干満寺の精舎に足をとめて詠じた 『 象潟や雨に西施(せいし)がねむの花 』 は、特に有名である。西施は春秋時代の呉(ご)王(おう)夫差(ふさ)の愛妃で中国古代の伝説的美女。雨にうたれて咲くネムノキの花に、悩める美女西施のイメージを重ね、象潟の墨絵のような風景を描写した名句である。ちなみに、西施俸(せいしほう)心(しん)の語源は、西施が病気で常に胸に手をあてて悩んでいる様を見て、当時の女性達があのようにすれば美人に見えると考え、争って真似たという故事による。
ネムノキの材は環孔材(かんこうざい)。軽軟で強度は低く、胴丸火鉢や箪笥の前板など、用途は限られている。しかし、夏期に採取する樹皮は生薬で合歓皮(ごうかんひ)といい、利尿、強壮、鎮痛に著効があるといわれる。
【解説】
ネムノキ Allizia julibrissin (マメ科)
林縁・原野など日当たりの良い湿地に自生する落葉高木。本州・四国・九州・琉球に分布する。葉は羽状複葉で互生、小葉は7~13対で鋭頭。淡紅色の長い雄しべをたくさん出した傘状の花を枝先に咲かせる。花後、扁平で大型の豆果をつける。花を観賞するため庭園にも植えられる。