[植物]身近な場所での牧野富太郎氏の足跡

 新入社員の研修で会社からほど近い青葉山に出かけました。青葉山の入口から目的のヒノキ林に到着するまでの3箇所にスエコザサが生育しているのを確認できます。
 スエコザサは、牧野富太郎氏が発見したと思われる場所には今も生育しております。「ああ、ここで発見されたのだなあ」と感慨もひとしおです。
 さて、スエコザサが発見されたのは今から96年前の昭和2年(1927年)、牧野富太郎氏が65歳のときです。この年に東京大学から理学博士の学位を授かったのでした。翌年、昭和3年に奥様の壽衛(すえ)さまがご逝去され、奥様の名前を新種の和名にしたのです。
(「MAKINO」高知新聞社編によると、戸籍上は壽衛であり、壽衛子は通称とのことです。)

 手元に1927年(昭和2年)11月2日から12月4日までの記録があります。
 11月21日に東京を出発され、22日から26日まで北海道札幌に滞在、11月30日から12月4日まで仙台に滞在し、同日帰京しました。
 この間、センダイザサとスエコザサを発見されています。
 一説によると、もう一つ、ヒロハアズマザサもこの時発見されたようですが、ナゾのままです。
 東京大学で牧野富太郎氏の同僚であった木村有香東北大学名誉教授によれば、わが国のササ類の植物学的研究は、牧野富太郎先生から始まるといってよい、と述べています。
 昭和3年ころから約10年間、植物に御詳しい方なら聞いたことがある中井猛之進、小泉源一、舘脇操の諸博士がこれに参加し、ササ類研究の最盛期を招き、ササ属の大半が明らかにされたそうです。
 日本の植物相の分類学的研究は、先駆期に欧米の方々が、精力的に開始しますが、初期に命名されたのはThunberg、Siebold、Zuccarini、その後もMaximowiczなど海外の方でした。
 確認しようにも遠い国々に標本があるため、明治時代、日本の植物学者たちは、自前で日本植物の研究、同定を行うのに必死だったそうです。牧野富太郎氏の天性ともいえる描画力が相当力を発揮したとのことです。

【引用文献】
 木村有香:仙台の笹、野草園シリーズ32、財団法人仙台市公園協会、1976
 上野雄規:スエコザサの研究史、日本植物協会誌39、2005
 大場秀章:牧野富太郎に向けた覚書き、分類9、2009

仙台市三居沢にてセンダイザサを手にする牧野博士
 1929年9月17日
 左から木村有香博士、牧野富太郎博士、岡田要之助博士

仙台市青葉区三居沢に生育するスエコザサ
 2023年4月18日相澤撮影
 アズマザサの変種で葉がくるりと巻いている
 牧野博士が採取したと思われる場所

2023年5月23日
次のページは