旧暦8月15日(今年は新暦で9月14日)の夜を十五夜といって、名月に供え物をして祭る風習が全国的に行われている。この習わしは奈良時代に中国から伝来したといわれ、その供え物に白玉の団子とススキの穂は欠かせないものである。なお、この十五夜は、物の本によると必ず仏滅の日にあたるということである。
ススキはイネ科の多年草で、原野はもちろんのこと郊外の空き地や道端、川岸など、いたるところに自生する。旺盛な繁殖力により荒れ地には真っ先に侵入するパイオニヤ種である。また火入れにも強く、野焼きをするとススキだけが残り、その単層群落になる。県内の広大なススキ草原としては、鬼首の禿岳中腹の高原や七ケ宿町の長老湖周辺が有名である。
ススキ(Miscanthus sinensis)の稈は1.5~2.5mぐらいの高さになり、葉とともに叢生して大きな株を作る。葉は長い線形で根から直接出るものと、茎に着くものとがある。葉縁に鋭い鋸歯があり、不用意に触ると手を切ることもあるので注意が勘要。秋風が吹き始めるようになると茎の頂に10~20本の小枝を出し、それぞれに長さ3~4mmの小穂を密生させて開花する。小穂は白い毛で包まれ、雄しべの葯は紅褐色、このため始めのうちは黄褐色に見える。花期が終わると白い毛が長く伸び穂全体が銀白色に染まりやがて風に乗って種子は四散する。
ススキは漢字で芒または薄と書くが、前者は漢名、後者は国字である。同義の萱(かや)は、この草で屋根を葺いたことによる「刈屋(かりや)根(ね)」から転訛したものといわれ、また尾花(おばな)は花穂の形態が獣の尾に似ることからきている。
万葉集にススキに関する歌が46首も収められているが、その内訳は芒と薄が17首、萱が10首、尾花が19首となっている。
御存じ山上憶良の秋の七種(ななくさ)の歌で、五七七、五七七の旋頭歌の歌体のものである。憶良は秋の草花のトップに萩の花を挙げており、当時の人たちも萩を秋で一番の花と評価していた。しかしこれに不服な人もいたようで同じ万葉集に
がある。
人々は皆、萩が秋で一番いい花だというが、私はススキの穂先を最高だと思うと反論している歌である。
秋の草花のなかでススキの花穂はたしかに地味な存在であり、華やかさにも欠けている。しかし花ともいえないわびしい姿には独特な寂寥感が漂っている。そのもの淋しいススキの花穂に月や秋風、露や野分けなどの言葉を組み合わせた歌や句が古来たくさん詠まれている。
芒を招いてはもはやほれてなし
江戸時代に作られた古川柳で、両句とも深草の中将を九十九夜通わせながら袖にして歌の道に一生を捧げた小野小町の末路を詠んだ句である。小町はみちのくのとあるススキ原で一人淋しく亡くなったという伝説に基づくもので、初句は彼女の作の「花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに」にかけている。
俳句では「すすき」「すすき散る」「すすき原」などが秋の季語となっており、多くの句が作られているが、そのなかから著名な句を数首紹介して置く。
なお、ススキは秋以外にも※「末(*す)黒(ぐろ)の薄」は春、「青すすき」は夏、「枯れすすき」は冬と、各季を通じて季題が設定されている。