5月の初め頃、ブナ林の林床を純白の花で彩る低木がある。スイカズラ科の植物で、団扇のような円い葉に深い皺があり、これが亀の甲に似ていることから、昔はオオバカメノキと教わった。ところがその後、この名は、「大馬鹿目の木」に通じ、教育上好ましくないという意見もあって、オオカメノキに変更され、これが正式な和名になっている。
今回紹介するヤイトバナも最近改名されたもので、以前はヘクソカズラと呼ばれていた。旧名はもちろん屁糞蔓からきており、全草、著しい悪臭を発することに由来する。
少々尾籠な話になるが、先日、地方紙の夕刊「河北抄」に、においに関する記事が載っていた。その道の専門家によると、においには5つの基準臭があって、糞もその一つに入るが、順応性があるので、馴れるとそのにおいは識別できなくなるものらしい。更に、つけ加えると、女性の使う香水にもこの成分が少し入っていて、これが隠し味ならぬ、隠しにおいになっているという。ヘクソカズラのにおいも順応性があるかどうか、一度試してみたいと思っている。
話はそれたが、かなり下品とみなされるヘクソカズラの改名運動は、以前からおこなわれていた。女性の多くは、花の先端に白いフリルがつき、花冠の内部が鮮やかな赤紫色に染まることから、サオトメカズラの名を推奨し、懐古派の人達は、昔の子供がこの花に唾をつけ、身体の一部に貼ってお灸の遊び道具にしたことから、ヤイトバナを推挙するなど、いろいろな新名の提案がなされていた。結局、環境省は、民俗学的な言い伝えのほうを重視し、お灸の古名であるヤイトバナを正式な和名とし、女性派が望むサオトメカズラへの二階級特進はならなかった。
この草のにおいは、奈良朝時代の万葉人も注目していたようで、当時は、くそかづら(屎葛)と呼んでいた。
親しい友人達との余興の席で、かはらふじ、屎葛、宮仕の3つの言葉を折り込み歌を詠めといわれ、それに応えた高宮王の歌である。初句のかはらふじは、現在の※ジャケツイバラのことで、枝がつる状に伸び、鋭い棘が密生する。こともあろうに、その枝にヤイトバナが絡まれば剥がれ難いのは当然のことである。従って、この歌の屎葛までの3句は、絶ゆることなくを導くための序詞で、ジャケツイバラの枝にまといつくヤイトバナのように、いつまでも宮仕えをしていたいというのが、歌意である。万葉集の巻16には、このように滑稽な歌が多数収められている。
ヤイトバナはアカネ科のつる性の多年生草本。日本全国の山林、原野、道端など、いたるところに自生し、市街地でも生垣や露地の金網などに巻きついているのをよく見かける。茎は、左巻きで、古くなると基部は木化し、地面に這う茎の節々から根と枝を出して繁殖する。葉は対生につき、葉身は長卵形で大小不同。盛夏になると、葉腋から集散花序を咲かせる。花冠は白色、ロート形で先端は開いて浅く5裂し、内面は赤紫色で腺毛が密生する。果実は径5mmほどの球形で、成熟すると光沢のある黄褐色となり、メジロなどがやってきてこれを啄ばむ。
この果実のにおいもかなりきついが、古来、霜やけ・あかぎれの民間薬としてよく知られる。
ヘクソカズラの名がヤイトバナに変わるのは、前述のように平成に入ってからである。だが、俳句の世界では既に大分前からヤイトバナを別名と認めており、両者が夏の季語として作句されている。
これらの句は、ヤイトバナの旺盛な繁殖力を表現している。
においは強烈であっても可憐な花を次々と咲かせる。。
※ジャケツイバラ:暖地系のマメ科の落葉低木。茎や枝に棘が多く、夏に美しい黄色の花を咲かせる。宮城県山元町の山間部が自生の北限。宮城県レッドデータブックで準絶滅危惧に指定されている。