No.59 ヒガンバナ(彼岸花)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦
目をひきつける鮮やかな花
目をひきつける鮮やかな花

  記録的な猛暑が続いた今年の夏も、ようやく峠を越し、爽やかな秋冷を覚える季節となった。朱夏から白秋へと変化する自然を忠実に知らせてくれるのがヒガンバナである。毎年、秋分の日が近づくと、まるで自分の出番がやってきたかのように、田んぼの畦、小川の土手、墓地の周辺などに忽然と姿を現わし、かがり火を連ねたように真紅の花を一斉に咲かせる。
 ヒガンバナは、集落の空き地に群生するヒガンバナ科の多年草である。花と葉は季節をずらして別々に出る。地下にラッキョウのような球根(鱗茎)があり、ここから初秋に高さ40cmほどの花茎を伸ばし、その先端にいかにも妖艶な5~7個の花を咲かす。花弁は狭い披針形で外側に強く反転し、長い雄しべが突出する。花期が終わる晩秋、幅7mm、長さ40cmほどの深緑色で線形、肉厚の葉を束生する。この葉は、冬期間、光合成を盛んに行って、球根へ養分を送り、翌春の4月に枯れる。

 ヒガンバナは中国大陸からの帰化植物で、稲作がもたらされた弥生時代に、サトイモなどと一緒に食用として渡来したといわれる。ヒガンバナの球根には良質なデンプンが含まれている。ただしこの部位にはアルカロイドという有毒成分も含有するので、球根を潰して何回も水に晒し、毒を抜いて残ったデンプンを食用にした。特に飢饉の際には重要な救荒植物であった。
 ヒガンバナの生育する場所は、人間の生活している周辺に限られ、人里離れた奥地の自然植生のなかには分布しない。というのは、わが国のヒガンバナの染色体はすべて3倍体※1(不稔性)であり、繁殖は専ら地下の球根の分裂によって行われるからである。つまり、種子ができないので、人手によって運ばれないと移動は出来ないのである。稲作由来の地とされる中国浙江省に自生するヒガンバナも3倍体といわれ、これが史前帰化植物であることを示す有力な根拠になっている。

 ヒガンバナは秋の彼岸に咲くことからきた名であるが、有史以前から全国各地で栽培されているのでいろいろな方言があり、日本植物方言集によるとその数は400を超す。特に墓地に多く見られるため、ユウレイバナ、シビトバナ、ジゴクバナ、ステゴバナなどの不吉な俗名が目立つ。また有毒植物であることを表わすシタマガリ、シビレバナ、テクサリバナなどの名もある。県内の農村部で多く使われるショウジョウバナは、花の色彩を猩猩の顔に見たてたものなのであろう。
 わが国最古の歌集万葉集では壱師(いちし)の花として歌われている。この名は、中国の漢名一枝箭(いちしせん)にあやかったものと考えられ、北九州や山口県には、今でもイチシバナの方言が残っている。 

路の辺(べ)の壱師の花のいちしろく人皆知りぬ我が恋妻を(巻11・2480)

 歌中の「いちしろく」は「はっきりと」の意。従って壱師の花までが、この語を導くための序詞である。大意は、私とお前の仲は道ばたに真っ赤になって人目をひいて咲くヒガンバナのように、はっきりと世間に知れ渡ってしまったという相聞の歌である。
 ヒガンバナの別名として知られるのが曼珠沙(まんじゅしゃ)華(げ)。梵語(ぼんご)(古代インドの言語)の「魔訶(まか) 曼(まん)蛇(だ)羅(ら)華(げ) 曼珠沙華」より出た言葉で、曼珠沙華は天上に咲く花を意味する。つまり仏様の花ということで、昔は墓地や寺院の境内に植えられ、一般の家庭からは敬遠されていたものだが、近頃は、華麗鮮烈な花を鑑賞しようと、庭園に植栽する人も多くなっている。
 明治・大正期を通じ、白樺派の詩人として活躍した木下利玄は、この花の妖しい魅力に惹かれた歌人で「曼珠沙華の歌」と題して詠んだ10首の連作は有名である。そのなかの一首が次の歌である。

曼珠沙華毒々しき赤の万燈を草葉の陰よりささげてゐるも
歌中の万燈は、供養のため仏前にともす明かりのことである。

 ある程度の年配の人なら、戦後の混乱期に「長崎物語」という歌謡曲が流行したのをおぼえておられると思う。
 国民のすべてが耐乏を強いられ、娯楽の少なかった昭和の20年代、異国情緒豊かな長崎を舞台とする物語り風のこの歌は爆発的に流行したものであった。当時、高校生であった私は、ジャガタラお春はおろか、マンジュシャゲのことも知らないくせに、蛮声を張り上げて歌っていたことがなつかしい思い出として残っている。
 俳句では彼岸花、曼珠沙華がともに初秋の季語。しかし、ほとんどは俗名の曼珠沙華で句が作られている。

草川のそよりともせぬ曼珠沙華飯田蛇笏
一族の墓のかげより曼珠沙華山口草堂
山影の山に入りたる曼珠沙華後藤秋邑

 自生地の情景を描写した句。第3句は、西側に屹立する高山に夕陽が遮られ、その影の中に咲くヒガンバナの花群と思われる。

曼珠沙華逃るる如く野の列車角川源義
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華森澄雄

 棚田の畦などで良く見かける風景。まさに野を走る赤い列車の如しである。昔はヒガンバナの有毒性を利用して、水稲を荒らしに来るノネズミの侵入防止のため、意図的に植栽したといわれる。このシリーズに再三登場して頂いた第2句の作者森先生は、今年の8月18日、不帰の客となられてしまった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

曼珠沙華落(らく)暉(き)も蕊(しべ)をひろげけり中村草田男
まんじゅさげ月なき夜も蕊ひろぐ桂信子

 ヒガンバナの雄しべは横に長く張り出しよく目立つ。初句の落暉は落日のことである。

まんじゅしゃげ花を終れば旗竿を山口青邨
曼珠沙華消えたる茎のならびけり後藤夜半

 落花のあとの花茎の林立も幻想的である。

※1 3倍体:1つの細胞に3組の遺伝子を持つ個体で子孫を作ることができない。種なしスイカは、この性質を利用して人工的に3倍体を作り、種子の発育不全を起こさせたもの。

人々に霊的な印象を与えてきた花
人々に霊的な印象を与えてきた花
[写真は仙台市青葉区八幡町にて 山本撮影]
2010年8月12日