今年の東北地方は、未曾有の天災に襲われ、実に大変な年であった。一時は混迷を極め、どうなることかと思っていたが、「世の中はどう変わろうと師走来る」の句のとおり、もうすぐ12月に入ろうとしている。周知のように、師走という異名は、年の暮れになると和尚(師)が多忙になり、あちこち走り回ることから来た言葉である。ところが、師走坊主になると意味は全く逆になり、檀家が少ない暇な坊主のことをいう。これが日本語の難しいところである。
師走になると植物も休養期に入るので、季題の選定にはいつも悩まされる。このような時には、近くの郊外にある知人の裏山を訪ねることにしている。仙台市の保存緑地に指定されている2haほどの雑木林で、自然度が高く、必ず何かを見つけることができる。狐色に枯れかかった林床に足を踏み入れて、すぐ目についたのがサルトリイバラの赤い実であった。
1952年の秋、昭和天皇が三重県志摩半島の賢島に行幸されたみぎりの御歌である。
今回は、このサルトリイバラを取り上げることにした。
サルトリイバラ(Smilax china)は、丘陵帯の山野に自生するつる性の半低木。托葉が変化した巻きひげで他物に絡まり、高く伸びることもある。茎は緑色で堅く、鋭いトゲがついていて、これが猿捕り茨の語源でもある。葉は互生につき、卵円形、すべすべしていて光沢があり、この葉で餅を包んだものを五郎四郎餅と称し、南九州の名物になっている。第二次世界大戦中は、イタドリの葉とともに煙草の代用とされたこともある。
花は春に咲き、雌雄異株。黄緑色の小さな花が葉腋に散形花序をつくるが、あまり人目につく花ではない。果実は径1cm弱の球形で、秋に赤熟して美しい。
新葉が美味で山菜の王者といわれるシオデも同属の植物。しかし、本種は草本性のつる植物でトゲはなく、果実も黒熟する違いがある。なお、Smilax属は、ユリ科に分類されているが、ユリ科の主流とはかなり異質な性格を持つので、サルトリイバラ科に独立させようとする説が有力になっている。
サルトリイバラの根径には、ステロイド系のサポニンを多量に含み、その乾燥したものを漢方では山(さん)帰来(きらい)と呼ぶ。利尿や皮膚病に用いられ、特に梅毒の治療薬として有名である。
山帰来の名に関し、江戸時代に著された「和漢三才図会(1715年)」に面白い話が載る。それを紹介すると、ある所に梅毒が進行して廃人同様になった男が居り、その始末に困った村人達は、当時の慣習に習い、山へ棄てることにした。ところが何日か過ぎると、その男は元気な姿で村へ戻ってきた。わけを聞くと、山に生えていたサルトリイバラの根をかじったら病気は治ったので、このように山から帰って来ることができたという。これが山帰来の名の由来であるという。
余談になるが、江戸時代における山帰来の信頼度はかなり高かったようで、その利用の実態が川柳に生々しく詠まれている。
薬種屋のやっと聞きとる山帰来
江戸川柳といえば、いささか品格に欠けているようでもあるが、その内容は正鵠を得ており、なるほどと納得できる句が多い。
第1句は解説不要として、第2句は少々惑わされる句である。薬種屋とは漢方薬を売っている店の主人のことで、客の注文が聞き取れにくいのは、恥ずかしい病気で薬の名を言いそびれているのかと思いたいのだが、実はさにあらず、この患者は病気が進んで鼻が欠落してしまい、正確に発音が出来ないでいるのである。
サルトリイバラは、歳時記でも山帰来としており、花の時期に合わせて春の季語にしている。
これらは、葉柄の脇に偏って咲く小さな花の特徴をよく観察している句である。ところで、サルトリイバラといえば、目立たない花よりも果実に目を向ける人が多いはずである。その美しい実が秋の季題に入っていないのはおかしいと思い、色々な文献を漁ってみた。その結果見つけたのが次の句である。
作者はこのシリーズに再三登場する昭和俳壇の大家である。つるべおとしは、太陽が急に沈む晩秋の夕刻を指し、この時期の山帰来は、果実がたくさん稔っているわけである。この句は、紛れもなく山帰来を秋の季題として使っているのは明白である。
ついでに江戸期の句も紹介しておく。
夕がほは、干瓢を作るウリ科の植物で、夏の季語。五郎四郎は、前述したように餅を包む山帰来の葉のことである。従ってここでの山帰来は、夏の季語として使われている。なお、作者は蕉門の十哲、つまり芭蕉の高弟である。