No.77 サクラ(桜・櫻)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦
開花が遅れた桜がようやく見頃になった
開花が遅れた桜がようやく見頃になった

 4月4日から19日までが24節気の一つ清明である。この時期の万物はすべて新鮮で百花が咲き競うことからこう呼ばれる。  徒然草の239段に「清明なる故に月をもてあそぶに良夜とす」と記されている。  仙台周辺では、ちょうどこの時期にソメイヨシノが開花する。昨年は大震災の影響で花見を自粛したので、今年はその分まで、じっくり夜桜を眺め、千金の値打ちがあるといわれる春宵を楽しみたいと思っている。

 一般に桜といえばバラ科サクラ属サクラ節の木本を指す。同じ属であっても梅や桃はサクラ節のものではない。サクラ節の野生種は、県内に10数種あり、主なものとして沿海部のヤマザクラ、オオシマザクラ、丘陵帯のカスミザクラ、エドヒガン、山地帯のオオヤマザクラなどが挙げられる。このうち、ヤマザクラは石巻付近を自生の北限地、宮戸島周辺に見られるオオシマザクラは、北関東以北で唯一の隔離分布地として知られ、学術上注目されている。
 一方、園芸種では、ソメイヨシノや各種のサトザクラ(多くは八重桜)が社寺や公園、街路に植栽されている。
 桜の寿命は総じて短く、長くても200年ぐらい。しかし、エドヒガンは長命で1000年を越すものもあり、各地で天然記念物に指定されているのはほとんどが本種。開花時期は、ソメイヨシノが最も早く野生種はこれより若干遅れる。
 中国大陸にわが国の野生種に対応する桜は自生しない。ただし、ソメイヨシノは植栽されており、日本櫻花の漢名がある。なお、桜の字は略字で、正しい漢字は櫻。小学校低学年の頃、この字の書き方を「二貝の女が木にかかる」と教わった記憶がある。

 桜は古代から日本民族に愛好され、国花として揺るぎない地位を保持してきた。淡白な花容と、その散りぎわの良さは、伝統的な日本精神に通じるものがあるとして、本居宣長は、

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

 と歌った。この敷島の歌は、その後も日本人の生き方に強い影響を与え、桜の花のようにいさぎよく散っていくことこそ武士道であり、大和心であるという論理を生み出した。昭和の初期、戦意高揚のため、盛んに歌われた「同期の桜」は、まさにその現れである。この軍歌を勇ましく歌った戦前・戦中派にとって、今は懐かしくもあり、ほろ苦くもある思い出として残っている。
 最も古い桜の和歌は、日本書紀の巻13に載る。

花ぐはし桜の愛(め)で同(こと)愛では早くは愛でず我が愛づる子ら
古から人々を魅了し続ける桜
古から人々を魅了し続ける桜

 19代允(いん)恭(ぎょう)天皇が、絶世の美女といわれた衣通(そとおり)姫(ひめ)に遣わした愛の歌とされ、当時は美女を桜に喩えていた。美しく咲く見事なことよ。同じ愛するならばもっと早く愛すべきであったのに残念でならないという意。
 衣通姫は皇后の妹にあたり、この歌を聞き皇后は大いに恨み給うと記されている。
 時代は下り、奈良時代に編纂された万葉集や、その後の古今、拾遣、詞花、千載などの歌集には、桜を詠む歌が実に多く収められている。その幾つかを時代ごとに紹介してみる。

あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(巻8.1425)

 万葉集の代表的自然歌人、山部赤人の歌。「日並べて」は連日のことをいい、桜の花が何日も咲き続けるものであるならば、そんなに恋しいと思うことはなかろうに、というのが大意。桜の花は、散りぎわが良いからこそ人をひきつけると言っているのである。因みに、万葉集には桜の歌が43首あり、そのすべてはヤマザクラを詠んでいる。

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(春歌上)

 平安初期の古今集にある在原業平の歌。この世に、桜がなかったとすれば、その咲くのを待つとか、風雨に散るのを案じるとかすることもなく、心はさぞかしのどかなことであろうと、ひねくれたことを言っている。

ねがはくは花のもとにて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ

 西行法師は桜をこよなく愛した歌人である。はじめ鳥羽上皇に仕える北面の武士であったが、23歳のとき突然出家し、諸国を放浪して優れた歌を多数残している。特に桜の歌は1000首を超えるといわれ、上の歌は文字通り西行辞世の句とされ、陰暦の2月、桜の下で亡くなっている。和歌で単に花といえば桜を指す。

 話は多少前後するが、サトザクラ(八重桜)を詠む歌は、西行が亡くなる40年ほど前に編纂された詞花集にみられる。

いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな

 小倉百人一首にも選ばれている有名な歌で、作者は伊勢大輔(だいふ)。

 ところは宮廷。中宮に殿上人(てんじょうびと)や女官が大勢集まるなか、奈良から届けられた枝もたわわに咲きほこる八重桜を題に歌を詠めと命じられた新人女官の大輔が即興で口ずさんだ歌である。「いにしへ」と「けふ」、「八重桜」と「九重(宮廷のこと)」を対応させ巧みにまとめている。

もえぎたつ若草となりて雪のごと散りのこりたる山桜ばな

 山形の生んだ大歌人斉藤茂吉の現代歌をもって短歌のしめくくりとする。

さまざまな事おもひだす桜かな
さまざまな事おもひだす桜かな

 鎌倉時代に起こった連歌の発句(ほっく)から派生したとされる俳句は、江戸時代に入ると芭蕉一門らによって季題をよみ込む五・七・五の短詩として定着する。この時代は、長く続いた戦乱が治まり、太平の世となっていたので、庶民の間に文藝志向が高まり、俳句も新しい町民文化として発展する。同時に、それまで和歌や漢詩を主体に貴族や武士などの支配階級によって独占されていた桜の文化も、新しく登場した俳句の恰好な季題として引き継がれることになる。

 江戸文化の最初の隆盛期といわれる元禄時代の句を紹介する。

さまざまの事おもひ出す桜かな松尾 芭蕉
明星やさくらさだめぬ山かづら榎本 其角
八ツ過ぎの山の桜や一しづみ服部 嵐雪
どんみりと桜の午時(ひる)の日影かな広瀬 惟然
鶏の声もきこゆる山桜野沢 凡兆

 これらは、蕉門の代表的作家の句である。第3句の「八ツ過ぎ」は、今の時刻で午後2時過ぎのことをいい、第4句の「どんみり」は、どんよりの古語で薄暗い様子を表す。

見かぎりし古郷の桜咲きにけり小林 一茶
わき道の夜半や明るく初桜加賀 千代女
行く春や逡巡として遅桜与謝 蕪村

 江戸後期の著名な作家の句。第1句は、事情は異なるものの、福島原発被災地に咲く桜を連想させられる。第3句の逡巡はためらうこと。

ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな村上 鬼城
鴉(からす)去りいよいよ白き桜かな阿部 みどり女
一本の桜大樹を庭の心松本 たかし
夕空に寂しく咲ける桜かな日野 草城
村遠くはなれて丘のさくら咲く飯田 龍太

 現代俳壇でよく知られた作家の句である。

ゆき暮れて雨もる宿やいとざくら与謝 蕪村
一本の枝垂れ桜に墓のかず飯田 龍太
風に落つ楊貴妃桜房のまま杉田 久女

 いとざくらと枝垂れ桜はエドヒガン系の桜。普通の桜は風で花弁がハラハラ散るが、楊貴妃桜(オオシマザクラ系の八重桜)は、房のまま、ぽたりと落ちる。

[仙台市青葉区八幡町で 山本撮影]
2012年4月24日