明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。 昨年は、大震災に襲われ大変な年でしたが、今年は中ぐらいでよいから穏やかな年であってくれればと祈っております。
長い間、漂泊の旅を続けていた一茶が、故郷の信州に戻ってきたのは五十路を過ぎてからのこと。その後は妻をめとり、子供を作って落ち着いた生活に入っている。上の句は、長女が生まれた次の年の正月の作で、<這へ笑へ二つになるぞけさからは>の句と一緒に詠んでいる。
正月を祝う縁起植物にマンリョウとセンリョウがある。ともに正式の和名で、漢字では万両、千両と書く。名前が福々しいことと、鮮紅色に輝くつぶらな果実は、華やかな花の少ない正月にとって貴重な存在であり、切り花などにして新春の戸口や床の間の飾り物にされる。
話は変わるがマンリョウやセンリョウのように、冬の時期に赤い実をつける植物として、カラタチバナ、ヤブコウジ、ツルアリドウシがある。巷では、これらに対しても、万両、千両になぞらえ、それぞれ百両、十両、一両の別名で呼んでいる。このことに関しては、本歳時記No.14「ヤブコウジ」で述べているので参考にしていただきたい。今回は、最も高価なマンリョウを紹介してみたい。
マンリョウ(Ardisia crenata)は、関東地方南部以西の本州、四国、九州の低山帯に分布するヤブコウジ科の常緑低木。主として照葉樹林の林床に自生する。古来、瑞祥植物として知られ、耐寒性があるので自生地から離れた東日本でも庭木や鉢物に栽培されている。
マンリョウは実の美しさがセンリョウ(センリョウ科)に勝るということで名づけられており、江戸時代(1803年刊行)の百科事典「本草綱目啓蒙」に記載されて以来、万両の字を当てている。本種は、中国大陸にも分布しており、漢名は、朱砂根。根や茎に咽喉の病気に効く成分があり、薬用植物でもある。
樹高は0.3~1.0mの小低木。茎は灰褐色で直立し、上部で数本の枝を分ける。葉は枝の先に集中してつき、傘のような形を作る。葉身は濃緑色で長楕円形、厚質で縁に波形の鋸歯がある。
花は7月に咲き、前年伸びた短枝の先につく。花序は散房状に出て花冠は白色。径8mmほどで5裂する。雌しべの回りを5本の雄しべが取り囲み、その先端は矢尻の形をしている。属名のArdisiaは、矢尻を意味していて、ヤブコウジ属の雄しべの特徴でもある。
冬になると果実は径7mmほどの鮮紅色の核果に成熟する。しかし、味がまずいのか、野鳥はなかなか食べてくれず、春遅くまで枝に残ることもある。品種に実が黄色に熟すキミノマンリョウ、白熟するシロミノマンリョウがある。
マンリョウとセンリョウはよく似ているが、両者を簡単に見分けるのは、実が葉の陰に垂れ下がるのがマンリョウ、葉の上に実を現すのがセンリョウである。
歳時記で「万両」は冬の季語である。この時期のマンリョウは、赤熟する実と濃緑の葉がよく調和して美しい。
万両の句が盛んに作られるのは大正期に入ってからとのこと。品種改良が進み、多数の園芸種が選抜され、庭木として普及したことによる。上の句は数少ない江戸時代の作で、当時の子供たちは、兎の雪だるまにマンリョウの実を目玉にして遊んでいたことがわかる。
マンリョウは、照葉樹林内の薄暗い林床に生える。自然林の風情をそのまま描写した「客観写生」という虚子が力説する俳句作法に基づいた句と思われる。
厠(かわや)は、便所の古い呼び名。日影を好むマンリョウは、よく便所の近くに植えられ、手水鉢と対になっている場合が多い。
座敷に通されて直ぐ目についたのが冬枯れの庭に赤く染まるマンリョウの実で、それがいつまでも気にかかり、帰るまで話がはずまなかったということらしい。青畝の最初の句集「万両」は、ゆたかな抒情に満ちた昭和俳誌の傑作と称賛されている。
昭和18年、太平洋戦争に応召されたが、病を得て帰還、胸の手術を3回も受け、療養生活を続けながら多数の名作をうたい上げている。この句は晩年の療養吟で、このマンリョウは鉢植えのものと思われる。