ウツギというと首をかしげるが、ウノハナといえば大抵の人は知っている。ウノハナは、ウツギノハナの略称で、陰暦4月の異名卯月に開花するのでこの名がある。万葉集をはじめ、古今和歌集、枕草子、徒然草などにも卯の花は出ており、昔から親しまれてきた花である。
歌人、佐々木信綱が、明治29年に作詞した「夏はきぬ」の最初の歌詞にも卯の花が登場する。「夏はきぬ」の歌は、戦前は、文部省制定の学校唱歌になっていた懐かしい歌で、今でも口ずさむ人は多い。曲の旋律もさることながら、全体を通じて初夏の自然をさりげなく綴った、七五調の詩には、日本人の心の琴線をゆさぶる響きがこめられている。
今春、東日本は悪夢のような3.11大地震に襲われ、未曾有の被害を蒙った。それでも年々歳々花は同じで、桜の花は咲き、若葉青葉が野山に甦り、いつものように夏の気配は近づいてきた。八幡町界隈にもウツギの垣根に白い花が咲き、繁みの中でホトトギスが囀る季節となった。
ウツギの白い花と、その木陰で啼くホトトギスの組み合わせは、昔から夏の到来を知らせる季題になっていて、万葉集でも「卯の花月(づく)夜(よ)」という美しい形容句で歌が詠まれている。
万葉集の巻10の夏の雑歌に載る作者不詳の歌。5月の山野に卯の花が咲き、美しい月夜に啼くホトトギスの声はいくら聞いても飽きないものだ。それがなぜか急に啼き止んでしまったので、また啼いてくれないか、と期待している歌である。万葉集には卯の花を題材とする歌は、24首もあるが、その大半はホトトギスとのコンビで歌われている。
なお、卯の花の垣根は、平安時代にはすでに植栽されていたようで、寂蓮法師は次の歌を残している。
話は横道にそれるが、卯の花の垣根で啼くホトトギスは、地面の上を水平に飛ぶ習性がある。
芭蕉が曾良を伴い、「おくのほそ道」を旅行中、下野(しもつけ)国(のくに)那須野原で詠んだ句である。近くの農家から馬を借りて跨り、野原を歩いていると、その前方を地面すれすれにホトトギスが「ポットサケタ」と啼きながら飛んで行く。その飛翔の跡を追って、首を横に向ける馬の様子をうたったものである。
ついでに話をもう一つ加えると、後年、芭蕉の高弟向井去来は、次の句を詠んでいる。
原野を真横に飛翔するホトトギスと、垂直に昇るヒバリが十文字に交差する様子を描写している。 ウツギ(Deutzia crenata)は、北海道南部以南の日本全国に分布する落葉低木。日当たりの良い、林縁部や原野、崖地などに多く自生し、昔から垣根や耕地の境界木にも植えられている。 今までウツギはユキノシタ科の植物として扱われてきた。しかし、近年にいたり、同科の草本性と木本性の間には、明瞭な相違点が認められるということで、草本性のものをユキノシタ科とし、木本性のものは、新たにアジサイ科として独立させることになった。この結果、木本性のウツギもアジサイ科に移るわけである。
ウツギの背丈はせいぜい2m止まりで、よく分枝し株立状になる。樹皮は灰褐色で古くなると剥がれ落ちるが、若い枝は赤みを帯びて星状毛が密生する。茎や枝は中空で、ウツギのもう一つの名の由来は、「空っ木」からきているともいわれる。ただし材質は非常に強靭で箪笥などの家具を製造する際の木釘や酒樽の呑口などに利用されてきた。
葉は対生につき、葉身は長さ10cmほどの卵形、葉面にも星状毛があってざらつき、縁には細かい鋸歯がある。
5月から6月にかけて枝先に円錐花序を出し、白色5弁の花を開く。雄しべは10個、雌しべの上端に1対の歯状の突起がある。花後、果実は椀状の蒴果となり、内部に長さ2mmほどの小さな種子が多数入り、風によって遠くまで散布される。
「卯の花」は初夏の季語。古来、卯の花を詠む和歌は数多いが、それらに劣らず夥しい数の俳句が作られている。先ず江戸期のものを紹介すると、
第3句までが、蕉門、つまり芭蕉の高弟の句。うち第一句は「おくのほそ道」を芭蕉に同行した曾良が、白河の関で詠んだ句である。 次は明治期以降の句。
第4句の作者は盛岡市出身の東大工学部名誉教授。東北地方を舞台にした地方色豊かな句が多い。第6句の「卯の花腐し」は、この花の咲く頃、雨の日が長く続くのでこう呼ばれる。