気仙沼市のカキ養殖業・畠山重篤さんらが続けてきた※「森は海の恋人」運動による植樹祭が、今年も6月5日、気仙沼湾に注ぐ大川の水源地で開かれた。3月11日に発生した東日本大震災により、気仙沼地方は壊滅的な被害を受け、その開催が危ぶまれていたが、こんな時こそ海と山を見つめ直そうと、全国から1,200人が集まり約1000本の苗木を植栽している。
私が「森は海の恋人」という小気味の良いフレーズを聞いたとき、直ぐ重ね合わせたのが「あざみの歌」である。昭和30年代の半ば、伊藤久雄という恰幅のいい歌手が、NHKのラジオ歌謡でうたった曲で、その後も根強い人気があり、今でも口ずさむ人は多い。
この歌は、もともと募る想いをアザミの花に託した恋の歌である。だが、「山の憂い」や「海の悲しみ」のくだりは、なんとなく昨今の林業や水産業の窮状を暗示しているようでもある。この対極の関係にある山(森)と海を同時に元気づけようとしている畠山さんたちの行為が「あざみの歌」の一節と重複したのである。
郊外の国見峠付近では、ノアザミの花が咲き始めた。今月はこのような経緯からアザミを取り上げてみた。
県内には自生するキク科アザミ属は帰化種を含めて約20種である。単にアザミという名のものはなく、必ず頭に形容詞がついている。よく見掛けるのが、ノアザミ、オニアザミ、ノハラアザミ、サワアザミ、ナンブアザミ、ダキバヒメアザミなどで、いずれも葉に刺を持つ。休耕田や畑などに咲くキツネアザミは刺がなく、アザミの仲間ではない。
アザミの名の由来は、「驚きあきれる」の意を持つ古語の「あざむ」が転訛したといわれる。つまり、美しいアザミの花を手折ろうとしたら鋭い刺にさされて、その痛さに驚きあわてたということらしい。 アザミは漢字で薊と書き、中国でも同じ字が使われる。
アザミ属の代表格はノアザミ(Cirsium japonicum)であろう。和名はもちろん野に咲くアザミからきている。北海道を除く日本各地の日当たりの良い林縁部、原野、土手などに生え、ブナ林地帯でも見掛けることがある。背丈は60~100cm、茎は中空で直立する。葉は互生、基部は茎を抱き、葉身は濃緑色で深い切れ込みがあり、縁に鋭い刺がある。
アザミの仲間では最も早く初夏に開花し、秋まで咲き続ける。細く伸びる茎の先端に径3~5cmの紅紫色の頭花を上向きに咲かせる。頭花は筒状花だけからなり、それぞれ1本の雄しべを筒状になった雄しべが囲んでいる。花序を包む総苞片は、瓦重ね状に並び、ねばねばしている。花全体が婦人の用いる眉刷けに似るのでマユバキアザミの異名がある。
江戸時代から園芸化が進められており、花屋で売っているドイツアザミは、わが国のノアザミの改良種である。
アザミ類の根や若い茎・葉は、昔から食用にされてきた。サワアザミの大きな葉は特に美味といわれる。また乾燥したノアザミの根は漢方で大薊(たいけい)と呼び脚気、神経痛、胃病の薬にされる。
以前の歳時記は薊を春の季語として扱っていた。しかし、春に開花するアザミはなく、最も早いノアザミでも初夏でありることから、近ごろは、季題を夏に移している。
とげとげしい茎葉と穏やかな頭花を対比させたもので、作者は芭蕉の高弟である。
「アララギ派」の流れを汲む巨匠の句。第1句の珊々は、おび玉の鳴る音をあらわし、第2句は一斉に開花したノアザミの群落を双眼鏡を通して覗き見た光景と思われる。
成熟したアザミの種子は冠毛によって遠くまで飛散する。
どうやらこのアザミは、川岸に生える大型のサワアザミのようである。
昔の俚諺「薊の花も一盛(ひとさか)り」の応用編と思われる。十人並みの器量でも年ごろになると魅力が出てくるという意味で「鬼も十八番茶も出ばな」と同義のものである。
※ 「森は海の恋人」運動:「豊かな海は豊かな森によって育まれる」の信念に基づき、畠山さんが提唱した漁師らによる植林活動。今では不況に喘ぐ一次産業の強力な応援歌になっている。なお、このフレーズは同じ気仙沼市に住む歌人・熊谷龍子さんの「森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく」から拝借したと畠山さんは語っている。