いささか古い話になるが、八幡町の国道筋にアオギリの並木があったように記憶している。その真偽を確かめようと、先日、青葉区役所の公園課に照会してみた。結果は思っていたとおりで、昭和15年の紀元2600年記念事業として、大学病院前から大崎八幡宮までの国道48号線沿いに植えられており、仙台市電が廃止された50年頃までは存在していたとのこと。つまり、昭和の戦中・戦後の約35年間を、あの懐かしい仙台市電が、アオギリの街路樹の中を走っていたというわけである。今でも、この並木から逸出したと思われるアオギリの残党が、町内のあちこちで見ることができる。なお、現在のこの街路の並木は、本誌の5号で紹介したように、ダイスギ(アシウスギ)に代わっている。
アオギリはアオギリ科の雌雄同株の落葉広葉樹。中国からの伝来という説もあるが、本州の伊豆・紀伊半島、四国・九州の沿岸部に自生しており、昔から庭園や街路に植えられてきた。均整のとれた樹型で、高さは15mに達する。樹皮は平滑で、鮮やかな緑色、小枝は輪生に出て太い。葉は大型の広卵形で掌状に3~5裂し、長さ幅とも20cmくらい、長い葉柄で互生する。
花期は6月下旬~7月上旬、梢頭や枝先に円錐花序をつくり、花弁のない小さな雄花と雌花を花序の中に混生する。萼片は5つに深裂し、裂片はそり返り、黄褐色の星状毛を密生する。果実は袋果となり、未熟なうちから5つの舟形片に裂開し、その縁に直径5mmほどの球形の種子が数個付く。この種子は、タンパク質や脂肪を多量に含み、そのまま食用になる。チョコレートの原料となる南米原産のカカオノキも同じアオギリ科の樹木である。
アオギリの漢字名は、中国のものをそのまま引用して梧桐としている。しかし、和歌や俳句では独特な緑色の木肌を強調して青桐を使用することも多い。
梧桐は中国大陸にも広く分布しており、杜甫や白楽天などは梧桐に関わる詩を多く遺している。ものの衰えのきざしに譬えられる群芳譜の一節「梧桐一葉落ちて天下尽く秋を知る」などは、わが国でも古くから人口に膾炙されてきた。
一方、梧桐は瑞祥の木とされ、霊鳥鳳凰との伝承もよく知られる。鳳凰は雨を運ぶ台風の化身とされ、アオギリの梢にだけ止まり、その枝葉を揺すって雨を降らせるという。雨は農耕民族にとって、天与の恵であり、それを運ぶ鳳凰はまさに霊鳥なのである。
このような中国の伝説は,奈良時代には既に伝来していたようで、いろいろな詩歌が作られている。
平安時代末期の代表的歌人寂蓮法師が梧桐と鳳凰の物語を詠んだ歌である。この「きり」は、梧桐のことで、この木に住む鳳凰は竹の実しか食べないといわれる。
中国での梧桐は、古代の詩文でも分かるように秋を知らせる樹木である。しかし、わが国では、青々と茂る樹冠の作る梧陰に魅力があるのか、夏の植物としている。
若くして逝った明治の文人長塚節の歌で、梧桐の季節感をよく表わしている。
俳句でも梧桐または青桐が夏の季語。大正期以降の句が多く、なぜか明治以前のものは少ない。
これらの句に、蒸し暑い不快指数のようなものが全く感じられないのは、アオギリという語感によるものと思っている。
盛夏に発生したアオギリの枯れ葉現象を読んだ句。アオギリには、蛾の一種ハマキムシという害虫がつき、葉を折り曲げ、綴り合わせて巣を作る。作者は昭和初期に活躍した俳人で、医学の心得もあった。