福島第一原発の事故以来、多くのメディアは福島県をフクシマと表記する。破損した原子炉から飛散する放射性物質が地域周辺を汚染している深刻な事態に、66年前の原爆投下で廃墟と化したヒロシマとナガサキのイメージをダブラさせようとしているのである。確かに、前例のあるカタカナ表記は事の重大さを知らせる手法として効果的である。しかし一方では、健康面や農林水産物への風評被害を増幅していることも事実で、地元にとっては迷惑千万な話である。何はともあれ、放射性物質によって汚染された土壌、草木、建造物などへの除染対策は喫緊の課題となっている。
現在のフクシマにおける除染のターゲットは、放射性セシウム。物の本によると、放射能の半減期が2年(セシウム134)、30年(セシウム137)があり、両者とも土壌中の粘土や鉱物と結合しやすく、しかも容易に分離しがたい性質を持つ。農林水産省では、この厄介なセシウムを吸収する手段としてヒマワリの栽培による実証試験を被災地の飯館村で進めている。これは、今より26年前、福島原発と同じような事故を起こしたウクライナのチェルノブイリ周辺の農地で行われたクリーンアップ作戦で、ヒマワリが好成績をあげているからである。
放射能除染の強力な助っ人となることを期待して、今月はヒマワリを取り上げてみた。
ヒマワリの原産地は、北米大陸中部から南米北部にかけての地域。インカ帝国では太陽のシンボルとして崇められていたようで、ペルーでは国花にしている。コロンブスによるアメリカ大陸発見後、スペイン人によってカンナ、マリーゴールド、タバコなどと共にヨーロッパへ渡る。暑い時期に咲く数少ない園芸植物として各地で栽培が広まり、わが国には、1666年(寛文6年)、中国経由で伝来した。中継地の中国では、花が太陽に向かって咲くという言い伝えから、向日葵と意訳し、わが国もこれに習い同じ漢字を用いる。江戸時代の和漢辞典「大和本草(1708年)」に日向葵(ヒウガアフヒ)と記述しているのは、編者の貝原益軒が、向日を日向に間違えたのではないかと思っている。
漢字の語源となったヒマワリの花の向日性は、洋の東西を問わず信じられてきた。だが、実際にこれを観察してみると、若いツボミのうちはその傾向にあるものの、完全に開花すると思い思いの方向に向くようになり、この法則性は成立しない。
この句が正しいのである。
ヒマワリ(Helianthus annuus)はキク科のヒマワリ属の一年草。属名はギリシャ語で太陽の花、種名は一年草を表す。英名もSunflowerという。
4月ごろ苗床に播種し、ある程度大きくしてから花壇などに移植する。成長は早く、夏までは1~3mほどに伸び、通常は単幹直立、一草一花である。葉は互生し、長い柄のある葉身は大きなハート型。全草に固い毛が生えている。
花は枝先に頂生し、頭花は径8~40cmと大きく、周縁部を飾る黄色の舌状花は中性で炎を思わせる。中央部に両性の筒状花が密に集まり、花後は油脂分を多く含む果実に成長する。
ヒマワリの花といえば、ゴッホの画が有名である。わが国では、伊藤若冲、酒井抱一など江戸期の高名な画家もこれを描いている。余談になるが、テレビの娯楽番組「開運!なんでも鑑定団」に出品されるこれらの画家の絵は、ほとんどがニセ物である。
ヒマワリの生理・生態を巧みに捉えた近代歌壇の雄、前田夕暮の歌。
多様な品種のあるヒマワリは、大別すると観賞用と種子採取用とに分けられる。わが国では、専ら観賞用として植えられ、単幹一花のものが多く、分枝するものは少ない。頭花の大きさは、さまざまであり、中央部が蛇の目模様のものや舌状花が長く伸びて球状に発達するものもある。
食品、飼料、化粧品などの原料にする種子採取用の品種は、一般に大型で、ロシアン・ジャイアントという品種は頭花の径が60cm、背丈は4mに達すると言われる。ロシアやウクライナ、中国などで大規模経営による栽培が行われている。
芭蕉が「おくのほそ道」に旅立つのは、1689(元禄2年)早春のこと。つまり、ヒマワリが渡来してから20年以上も経過してからの話である。ところが、当時はもとより江戸時代末期に至るまで、有名な俳人によるヒマワリの句は、全くといっていいほど作られていない。これは多分、静寂な「さび」の心を重んじる江戸期の俳諧の世界にとって、ヒマワリの持つ豪壮、絢爛さが一種の違和感となって敬遠されたのではないかと考えている。
しかしこの傾向は、明治期に入ると一変する。近世を代表する作家達は「夏の花はヒマワリに如かず」とばかりに、競ってこれを詠ずるようになった。以下、この歳時記に再三登場する馴染みの俳人たちの向日葵の句を列挙して紹介する。