No.69 ナツツバキ(夏椿)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦
はかなくも美しく咲くナツツバキ
はかなくも美しく咲くナツツバキ

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる者久しからず、唯春の夢のごとし。たけき者も遂には亡びぬ、偏へに風の前の塵に同じ。  平家一門の栄華と衰亡を記述した「平家物語」の書き出しの部分。この口調の良い流麗な文章を暗記されている方は多いと思っている。
 祇園精舎は、釈迦が信者を指導していたインドの寺院で、ガンジス川の上流にあったといわれ、沙羅双樹は二股に分かれた沙羅の木のこと。釈迦の入滅時、寝所になった精舎の周りに生えていたと伝わる。
 この沙羅の木は、熱帯地方に産するフタバガキ科のサラノキ(Shorea robusta)のことで、かつて合板用に東南アジアから大量に輸入していたラワン材の仲間である。ところが、わが国の寺院などで見られるサラノキは、これとは全く関係のないナツツバキという落葉樹である。
 なぜ、この樹がインドの聖樹に擬せられているかについては、推測の域を出ないが、ナツツバキの清楚な白い花が、僅か1日限りで散ってしまう運命を佛教で言う無常感に重ねているからではないかと思っている。なお、江戸時代の百科事典「和漢三才図会(1715)」に「沙羅双樹、比叡山に有之、其花白く単弁、状山茶花に似る」と、いかにも比叡山(浄土院)に生育しているように記述しているが、これもナツツバキである。

褐色(かちいろ)の根(ね)府川(ぶかわ)石に  白き花はたと落ちたり
ありとしも青葉がくれに  見えざりし沙羅の木の花

 文豪森鴎外が住んでいた東京都千駄ヶ谷の旧宅の庭に、このナツツバキが植えられており、その落花を詠んだ有名な詩。この木は戦災で消失し、根府川石だけが残っている。
 ナツツバキ(Stewartia pseudocamellia)は、高さ15mほどになるツバキ科の落葉広葉樹。樹形は直立して、やや上向きに枝を広げる。樹皮は滑らか。はじめ灰褐色であるが、10年を過ぎる頃から剥落が始まり、皮が落ちた跡は、赤褐色になり、サルスベリやリョウブの木肌に似てくる。
 葉は互生につき、葉身は羊皮質で楕円形、表面は緑色、裏面は粉白色を帯び葉縁に低い鋸歯がある。
 花は7月、今年出た枝のやや下方の葉腋から径5~6cmの白い花を上向きに咲かせる。花弁は5枚、縁は波打ち、不整の細鋸歯がある。雌しべの先端は5裂し、雄しべは多数あって基部で合着する。盛夏にツバキに似た白い花を咲かせるのでこの名がある。蒴果は秋に熟し球型、鋭い5稜があり、上方で裂開して子房室に小さな卵形の種子が1~2個入る。
 宮城・新潟県以西の本州、四国、九州の山林内に分布。中禅寺湖畔や箱根神社の裏山にまとまった群落がある。本県では、南三陸沿岸の気仙沼市や南三陸町の山中に自生種が確認されており、これがわが国の北限種とされている。古くからサラノキ、シャラノキの名で寺院、庭園、公園などに植えられている。
 俳句では、夏椿、沙羅の花、沙羅双樹などが盛夏の季語。しかし、沙羅の花として詠まれることが多い。

沙羅の花風の山霧吹きわかれ山口 草堂
沙羅の花耀くは風あるらしき高木 雨路
沙羅の花風のささやくときありぬ池富 芳尾

 この時期に吹く風は、南西方向からの蒸し暑い季節風であるが、白い沙羅の花の咲く木陰では爽やかに感じ、しのぎ易い。

花薊露珊々朝の茶に語らふ死後や沙羅の花石田 波郷

 戦地で病を得て帰還、戦後の俳壇で加藤楸邨らと活躍した大家の句。晩年も大病を患い、手術を受けながら病院生活を送っていたときの療養の吟である。

踏むまじき沙羅の落花のひとつふたつ日野 草城
花を拾へば花びらとなり沙羅双樹加藤 楸邨
沙羅散るや月持つ影は多宝塔山口 孝子

 沙羅の花は、朝に開き、夕には散ってしまう1日花である。白く華やかに咲き、はかなく散る風情は栄枯盛衰を叙した平家物語と相通じるものがある。第1・2句は、近代俳壇の第一人者の句。第3句の多宝塔は、天台宗の寺院に見られる多宝如来を安置した塔である。

夏椿御廟守りて咲き出でぬ石井 桐陰

  正確な名で詠まれているが、夏椿として詠む句は少数派である。

サルスベリのような木肌
サルスベリのような木肌
[写真は仙台市青葉区八幡町にて 山本撮影]
2011年7月7日