No.1 センダン(楝)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦

 

初夏の訪れを告げる花

 

 大崎八幡宮の西側を国道48号から分かれて、国見小学校に向かう車道がある。その坂道沿い左側の民家の庭先に、センダンが植えられている。この木が薄紫色の花を着けると、もうすぐ夏の到来である。

 「卯の花の匂う垣根にホトトギス・・・」で始まる佐々木信綱作の「夏は来ぬ」は、戦前の文部省制定の学校唱歌であるが、今でも多くの人に歌いつがれている。曲の旋律もさることながら、初夏の自然をさりげなく綴った歌詩には、いかにも日本人の琴線を揺さぶる響きがこめられている。
 この歌の4番目に「楝散る」の詩がある。明治期まではセンダンを楝(あふち)と呼び、その花の咲き散る様子が歌にうたわれてきた。万葉集にも、アフチとホトトギスを組み合わせた歌が数首あるので、こんなところから「夏は来ぬ」に取り入れられたのであろう。なお、「あふち」は通常アウチと発音するが、「ふち」は藤色を意味するのでアフヂと濁音でよむべしという人もいる。

 枕草子に「木のさまぞ憎けれどあふちの花いとをかし、あちこちに咲きて必ず5月5日にあふ(同時に咲く)もをかし」とあるように、西国では端午の節句をこの木の開花日としていた。
 センダンの花は、ほのかな香気を発する。それが故に、5月5日にはセンダンの花とショウブ、ヨモギの葉を薬玉(くすだま)の中に入れ、邪気を払うセレモニーに使われていた。ただし、センダンに香気があるといっても「栴檀は双葉より香し」のセンダンではない。こちらの栴檀は、インドに自生する香木ビャクダン(ビャクダン科)のことである。
 センダンは宮城県に自生種はないが、庭園や公園には良く植えられている。角田市の旧西根小学校の校庭には、明治時代に植えられた胸高直径1mを超す大木があり、今なお元気で花を咲かせる。
 センダンの花を詠んだ有名な歌が次の万葉歌。

 

妹が見し楝の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ干(ひ)なくに(巻5・798)

 

 神亀5年(728)、大宰府の師大伴旅人(おおとものたびと)の妻が赴任先で亡くなった。その死を悼んだ部下の山上憶良が詠んだ一首で、生前、あなたが愛していた我が庭のセンダンの花はもう散りそうです。深い悲しみに泣く私の涙がまだ乾きもしないのに、というのが大意。いかにも憶良の人柄が偲ばれる哀歌である。
 憶良の秀歌のあと、興をそぐようで悪いが、センダンの材は江戸時代、罪人のさらし首を架ける獄門台に使われた。その昔、俘囚貞任(ふしゅうさだとう)の首を楝の木に梟したことに由来する。家具材として重宝されるセンダンにとって、まことに迷惑千万な話しではある。

【解説】

センダン Melia azedarach var.subtripinnata (センダン科)
 主に西日本の沿岸部に自生する落葉高木。太い枝が横に広がり、樹型は半球状。羽状複葉で互生。葉の脇から花柄を伸ばし、多数の薄紫色の小花をつける。これが秋には黄色の楕円状の果実に熟し、冬まで残る。「夏は来ぬ」で歌われるためか、学校校庭に良く植えられる。

青空に映えるセンダン
 
2009年5月15日
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