日本列島の今年の夏は異常な猛暑が続き、各地で今までの最高気温を更新した。高温の日は秋になっても続き、このため紅葉シーズンはごく短い期間で終わることになった。これも地球温暖化の影響なのだろうと、半ばあきらめながら冬を迎えようとしている。
紅葉といえば山間部でその美しさの双璧は、カエデとウルシの仲間である。カエデ科の樹木には紅葉のものもあるが、一般に黄葉が多い。しかしウルシ科のものは、ヤマウルシ、ツタウルシ、ヌルデなど全て深紅に紅葉する。県内の里山を真っ赤に染めるウルシの仲間の紅葉は、まさに晩秋の風物詩である。
紅葉するウルシ科の樹木のなかでも特に美しいのがハゼノキといわれる。東北地方には自生してないが、最近は郊外の団地でよく見かけ、八幡町界隈でも植えられている。これらの移入種は、関西から仙台に移住した人達が、遠いふるさとの晩秋を思い起こすよすがとして植えたものだろうと勝手に想像をしている。
ハゼノキ(Toxicodendron succedaneum)はウルシ科ウルシ属の関東南部以西の山林に自生する落葉中高木で樹高は7~8mぐらいになる。樹型や樹肌はヤマウルシと良く似ている。雌雄異株とみられているが、同じ株に雌花と雄花が同居するものもあるらしい。葉の形態もヤマウルシとそっくりで、葉柄の先の方に9~15枚の小葉がつく。これが後に美しく紅葉するわけであり、ハゼノキの語源は派手の木からきているという人もいる。
初夏に葉腋から7~8cmの花序と伸ばし、黄緑色の小さな花を円錐状にたくさんつける。雌花は秋になると黄白色で艶のある果実に成長し、やがて外果皮がはげて白色の中果皮が裸出する。この果皮に大量の蝋(ろう)が含まれていて、これがろうそくやポマード、口紅など化粧品の原料となる。
ハゼノキは漢字で櫨(はぜ)と書くが、古代は梔(はじ)の漢字が使われていた。古事記には天梔弓(あまのはじゆみ)の名が出ており、万葉集にも大伴家持が作った梔弓(はじゆみ)の歌が収められている。万葉時代の天宝勝宝8年5月、時の権力者藤原仲麻呂の讒言(ざんげん)(※相手を陥れるために悪くいうこと)により、大伴一族の重鎮が罪に問われ失脚する事件があった。当時、一族の長であった家持は「族(やから)に喩(さと)す」(万葉集巻10.4465)という長歌を詠み、部下達に自重を促した。その歌中に
・・・皇祖(すめうぎ)の神の御代より梔(はじ)弓(ゆみ)を手(た)握(にぎ)り持たし真(ま)鹿児(かご)矢(や)を手(た)挟(ばさ)み添へて・・・
という一節があり、この梔がハゼノキなのである。ハゼノキの材は非常に強靱で古代は弓に使われていた。
ハゼノキの紅葉は当時も注目されていたようで、古今集では万葉集と同じように「はじもみぢ」としてうたわれ、次の歌がある。
俳句の世界でもハゼノキを題材にした作句が多い。しかもはぜもみぢ、はぜの実、はぜちぎりと晩秋を三つに分けて季語が作られている。
二句目の作者 飯田龍太氏は、残念ながら今年2月鬼籍に入られてしまった。
大豆つぶくらいの大きさに成熟したハゼの実を詠んだ句である。
櫨ちぎりは、木ろうを採るためにハゼノキの栽培が盛んな九州北部の農村地帯でみられる晩秋の行事である。