今年の世相を表す漢字に「新」が選ばれ、師走の11日、京都市の清水寺で発表された。日本漢字能力検定協会の公募によるもので、オバマ新大統領の就任、鳩山新政権の誕生、新型インフルエンザの流行などがその理由で、次点は「薬」とのこと。
選定理由の一つ、新型インフルエンザは、北米のメキシコで発生し、またたく間に全世界に広がり、一時はスペインカゼの再来かと心配された。幸い小康状態にあるが厳冬期を控え油断は禁物である。因みにスペインカゼが流行したのは90年前の大正9年のことで、わが国でも50万人近い犠牲者を出している。当時、ワクチンやタミフルなどの薬品があるわけもなく、俗信が幅をきかしていた時代でもあり、多くの人たちは、うこん染の小袋にナンテンの葉と大豆を入れて身につけ、ひたすら流行の治まるのを待ったといわれる。もちろん科学的な根拠に基づくものではなく、ナンテンに難を転ずるとかけ、おまじないとして使ったものである。今、そのナンテンが赤い実をたわわにつけ、冬の庭を彩っている。
ナンテンは、茨城県筑波山以西の暖地に自生するメギ科の常緑低木。中国原産とする説もあるが、西日本の山林内には明らかに野生状態の群落が分布する。
幹は株立状になって直立し、高さはせいぜい3m止まり。直径も細く、材に年輪が発達しないので、江戸時代の文献には竹の仲間に入れているのもある。ただし、野生種のなかには樹高7m、幹回り30cmを超すものもあり、風天の寅さんで有名な東京都葛飾区柴又の帝釈天題経寺にはナンテンの床柱がある。
葉は3回に分かれる羽状複葉で、茎の先端に集まってつく。葉柄の基部は鞘になって茎を抱き、葉が枯れ落ちてもこの部分はそのまま残る。小葉は披針形で先端はとがり、表面は濃緑色で光沢がある。この葉に毒を消す効果があるとされ、古いしきたり
を重んじる家では、食べ物を重箱に入れて進物にする際、ナンテンの葉を添える習わしが残る。
花期は6月の梅雨の頃、茎の上部に大型の円錐花序をつくり、白色小型の両性花を一杯につける。花被片は3枚づつ、瓦を重ねたように並び、いかにも重々しい雰囲気がある。
の句があり、花南天は夏の季語である。
ナンテンの漢名は南天燭、または南天竺。燭は明かりを意味し、竺は竹と同義であるから前者は赤色の果実、後者は茎の形質を表している。なお学名は、Nandina domestica Thunb.と書く。属名はナンテンの訛ったもの、それに続く種名は家庭的という意味で、幕末に来日したスウェーデンの植物学者ツンベルグが、日本の庭にはどこにでも植えているナンテンを見て、このように命名したといわれている。
ナンテンの庭木としての歴史は古く、鎌倉時代の初期に書かれた藤原定家の「明月記」に、中宮の役人が南天竺を庭に植える様子を記述している。それ以降、室町・江戸期を通じて難転あるいは成天にかけた縁起木として人気を集め、防火用の生け垣、玄関の戸口、手水鉢や便所のあたりなどに植栽されてきた。
ナンテンの美しさは、晩秋から冬にかけて赤熟する果実にある。直径6mmほどの大きさで枝先に鈴なりにつく果実は気品があり俳句の世界でもたくさんの句が詠まれている。
これらは江戸時代の句で、当時、南天の実は秋の季題にされていた。しかし大正期以降は冬の季語に定着する。
最後の句は、太平洋戦争中、学徒動員で大陸に渡り、悲惨な戦いのなかで見た南天の実を想い出している句である。
ナンテンの実を乾燥させたのが漢方の南天(なんてん)実(じつ)。鎮咳剤製造の原料となり、喘息や百日咳などに良く効くとされ、シロナンテンの実は最上といわれる。