No.37 サザンカ(山梅・山茶花)
(株) 宮城環境保全研究所  大柳雄彦
生垣を彩るサザンカ
生垣を彩るサザンカ

 眩いばかりに色づいていたイチョウの黄葉が散り終わると、天候は決まって西高東低の冬型になる。朝夕の冷え込みは厳しさを増して、大抵の植物は休眠期に入る。昔はこの季節を衆芳凋謝(多くの花や草木が萎れる)の候と表現していた。花の少ないこの時期に華やかに咲くのがサザンカである。

 サザンカは観賞用として県内でも庭園や生け垣などに広く栽植されている。しかし、これらのすべては、西日本の山中に自生していた野生種を改良した園芸種である。野生種は山口県の一部と、四国南西部や九州の山林内に分布する。多くは他の樹木と混生するが、佐賀県の背振山地(福岡県と接する山地)の千石山には約3haのサザンカだけの純林があり、国の天然記念物に指定されている。
 サザンカの園芸化は、江戸時代の初期(1600年頃)から始まり、いろいろと改良が加えられ、1739年に出された「本草花蒔絵」には100種近い品種が記載されている。そして江戸末期には欧米にも輸出され、そのうちの幾つかは再改良され日本に里帰りしている。
 俳句などで慣用的に使われる山茶花は、サザンカの音読みの訛ったもので、サザンカの漢名は茶梅が正しいようである。漢字の本場である中国では、サザンカを茶梅と書き、山茶花はツバキのことを指す。元禄時代に貝原益軒が著した「大和本草」にも、『茶梅はツバキの類にて、葉も花も小なり。白あり、香よし。実に油あり。村民取りて利とす。』・・・とある。また、ものの本によると歌劇の椿姫を中国では茶梅姫と言うとのことである。

 

 サザンカはツバキ科の常緑小高木で老木になると胸高直径30cm、樹高は10mを超えるといわれる。以前、このシリーズで紹介したヤブツバキとはごく近縁の仲間で、チャノキ(茶の正式な和名)も同属である。学名をCamellia sasanqua Thunb.と書き、スエーデンの博物学者ツンベルギーの命名によるが、小種名は日本の呼び名をそのまま用いている。因みに英語でもsasanquaと言う。

内部が白いサザンカの花
内部が白いサザンカの花

 サザンカの樹幹は灰白色で、たくさんの枝を出し葉も良く茂る。葉は互生につき、葉身はやや厚く表面は濃緑色、長さ5cm、幅3cmぐらいの楕円形で、両端はとがり、縁には鋸歯がある。11月から正月にかけて枝々の先に花をつけ、花期は長い。野生種の花は5弁で白色であるが、園芸種は重弁で紅色系が多く、なかには白色に紅色を指すもの、周囲が赤く内部が白色のものもある。花後は径2cm弱の丸い朔果となり、内部に3個の種子が入る。この種子から油を絞り、ツバキ油と同様、食用油や整髪油とする。
 同じ仲間のヤブツバキと良く似るが、ヤブツバキの花は春に咲き、花弁の下部が筒状になっていてそのままぽたりと落ちる。これに対して、サザンカは冬に咲き、花弁が一枚づつ分かれて落下する。そのほか、サザンカは全体的に花も葉も小振りで、葉柄や葉の中脈に短い毛が生えているという相違点もある。なお、サザンカは塩害に弱く、沿海部には自生しない。

 前にも述べたように、サザンカの漢名は茶梅である。しかし俳句では昔から山茶花の字を当てて冬の季語としている。室町時代に流行した俳諧連歌の発句(ほっく)(連歌の最初の五・七・五)を起原とする俳句は、元禄時代に隆盛期を迎えるが、サザンカの園芸種が巷に出回るのもちょうどこの時期である。その元禄期に浮世草紙作家として活躍した井原西鶴は、次の句を残している。

山茶花を旅人に見する伏見かな

つまり、俳句の世界では伝統的に山茶花の字を詠題として使っているのである。

 冬枯れの中に咲き、ひそやかながらも華やかさを感じさせるサザンカの風姿は、多くの俳人たちに愛され、いろいろな句が作られている。

山茶花のここを書斎と定めたり正岡 子規
霜を掃き山茶花を掃くばかりかな 高浜 虚子
花まれに白山茶花の月夜かな原  石鼎
山茶花の長き盛りのはじまりき富安 風生

 3句目に紹介した原 石鼎の句は、白いサザンカを詠んでいるが、一般的にサザンカの花は赤いものとして定着している。1982年に流行した大川英策の演歌「さざんかの宿」でも「♪赤く咲いても冬の花・・♪」と唄っている。この歌は、市川昭介さんが作曲したこともあって、シングル版で120万枚を越す大ヒット曲となったのは記憶に新しい。
 また、詩人三好達治も「人をおもへば」という題で、

人をおもへば山茶花の
花もとぼしく散りにけり
土にしきたるくれなゐの
淡きも明日は消えなむを

とうたっている。

横顔も麗しいサザンカの花
横顔も麗しいサザンカの花
[写真は仙台市青葉区八幡町にて 山本撮影]
2009年5月15日