No.5  アシウスギ(芦生杉)

 

会社前のアシウスギ

 

 仙台厚生病院付近から大崎八幡宮入り口あたりまでの国道48号線沿いに、異様な姿をしたスギの並木がある。根株から背丈の異なる数本の幹が直立し、それぞれの梢頭に濃緑色の綿帽子をつけている。説明板には、ダイスギ(アシウスギ)とあるが、これは往時、京都市北区の北山地方で磨丸太(みがきまるた)の生産が行われていた頃の北山林業に由来するアシウスギの園芸種である。磨丸太の産地、北山地方は、川端康成の小説「古都」の舞台であり、また「北山しぐれ」はこの地方の晩秋の風物詩として知られ、アゴの長い女性歌手は同名の曲を哀調切々と歌っている。

 かつての北山林業は、磨丸太を生産するにあたり台杉仕立てといって、アシウスギを植栽し、10年ほど経過後、これを一旦伐採し、その根株から萌芽する複数の幹を育て、それを次々に択伐する方法で収穫していた。京都府美山町芦生(現在の京都大学芦生研究林)の山林内に自生するアシウスギは、通常のスギと違い、極めて萌芽性に優れていたので台杉仕立てが可能だったわけである。この独特な施業で生産されていた丸太は、数寄屋造りや茶室の床柱、桁、たる木などに利用されてきた。従って、北山林業の起源は茶の湯の流行とともに茶室建築が盛んになった室町時代の前期とみられている。

 しかし、近世に入ると数寄屋造りや茶室の建築は少なくなり、飾りたる木の需要は著しく減少した。このため、台杉仕立てによる柱材の生産は衰退し、専ら庭園樹用の苗木生産へと転換した。八幡町の並木も、苗畑で台杉仕立てによって育成された園芸種である。

 

 ちなみに、現在の北山林業は、一般住宅の床柱に使用する磨丸太の生産へ特化している。それも手間のかかる台杉方式ではなく、皆伐による1本仕立ての丸太生産で行われている。磨丸太の語源は、伐採した丸太の皮を剥ぎ、材の表面を川の水と細かい砂で丹念に磨いて仕上げたことによる。なお、絞丸太は、皮を剥いだ材面に不規則な縦じわが現れるように栽培した床柱で、これも付加価値をより高めるために北山林業が開発した製品である。


北山の磨丸太

 

 本来、歳時記では、その季節に関わる俳句や季語を解説することがたてまえとなっている。ところが、芦生杉も台杉も俳句の季題には入っていない。また、これらにまつわる句も薄学にして全く覚えていない。こんなお手上げの状態では、歳時記の体裁が整わないと考えたので、その彌縫(びほう)の策(※一時的に取り繕うこと)として、我が社の女流俳人にアシウスギの並木道での吟行を煩わすこととした。正月の雪の降る日の朝のことであり、今回はその迷句を紹介して本稿を締めさせていただく。

 

雪を置く梢(うれ)不揃いの芦生杉      魅奈
しんしんと雪降る通りに芦生杉       愛狸
台杉に雀舞い飛ぶ雪の朝         湯香

 

【解説】

アシウスギ Cryptomeria japonica var. radicans (スギ科)
 常緑針葉高木。裏杉系のスギの変種とされている。用材としてのみならず、庭園や街路樹にも植栽される。幹は直立、分枝するが、豪雪地帯では下枝が垂れて地につき、そこから発根して新しい株を形成する。葉は鎌状針形、緑色で、特に先端は鉤状に内曲する。花期は4月頃であるが、開花することはまれである。


アシウスギの枝葉
2009年5月15日