この冬は雪が少なく、暖かい日が連日続いている。ゴルフ場はエビス顔だが、スキー場はいずこも悲鳴をあげている。1月下旬に気象庁が発表した予報によると、今後も気温の高い日が続くと予想しており、今冬は記録的な暖冬になりそうである。流行語になると思っていたウォームビズの言葉は誰も使わなくなってしまった。暖かい日差しのもと、八幡町界隈の社寺の境内や家庭庭園ではツバキの花が今見ごろになっている。歳時記の季題としては少し早いと思うが、今回はツバキを取り上げてみた。
牧野富太郎博士は、野生種をヤブツバキ、栽培種をツバキと分類している。つまりヤブツバキが母種でツバキはその品種というわけである。ちなみに演歌歌手の小林幸子が歌うユキツバキは、ヤブツバキの変種であり、東北・北陸地方の多雪地帯に適応する野生種である。
ヤブツバキ(Camellia japonica)は北海道を除く本州以南の海岸地帯や低山帯に分布し、韓国や中国東部にも自生する。わが国の自生の北限地である青森県夏泊半島には約20haの純林群落があり、国の天然記念物に指定されている。椿祭りが行われる5月には全山紅色に染まる。
ヤブツバキは胸高直径が50cmにもなるが、樹高はさほど高くならない。常緑の葉は厚く濃緑色で光沢があり、ツバキの語源は厚葉木(アツバキ)からきている。5花弁の大輪で、東北地方では3月下旬から5月頃まで咲き、花期が長い。
ツバキが初めて文献に出てくるのは日本書紀第七の景行天皇の条である。豊後国の逆賊、土(つち)蜘蛛(くも)を討伐しようとしたとき、天皇はツバキの木で椎(つち)を作って兵器とし、ことごとく悪党どもを懲らしめたとある。また同じ日本書紀には、天武天皇の3年、吉野の人が白花のツバキを献上し、天皇はこれが気に入り大いに賞したとも記されている。
「椿」は春を代表する樹木ということで、わが国で作られた国字であるが、万葉集の次の歌がその出所とされている。
巨勢はJR和歌山線吉野口駅付近の地名で、持統天皇が紀伊国に行幸されたときの歌。「つらつら椿」は赤い花が繁った葉の間に点々と咲く様子を形容したもので、次の「つらつら」を引き出すための序詞になっている。巨勢山に茂るツバキの林をつくづく見ていると、花の咲いている春はさぞかし美しいことであろうと想像している歌である。
古代より親しまれてきたヤブツバキは江戸期に入ると椿文化の隆盛時代を迎えることになる。野生種の品種改良が進み、数百にのぼるツバキの品種が作出され、盆栽も出回るようになる。この椿ブームは国内だけに止まらず、長崎の出島を通じて西欧でも大流行となり,「椿姫」*1などの作品を生み出している。日本からやって来たツバキを初めて見た植物学者のリンネ*2は、これにCamellia japonica L. と自分の名前をつけて学名にした。
ツバキは俳句をたしなむ人々にも人気がある。江戸時代以降、芭蕉、蕪村、一茶その他の多くの俳人達が名句を残している。特にツバキの花の落ちる風情が好まれるらしく、[落ち椿]を題材とする句が多い。椿は、花が散る時花びらが一枚一枚散るのではなく、重量感のある花全体がそのまま落下する。夏目漱石は[草枕]の一節に、花はボタリボタリと落ちると表現しているが、まさにその通りである。
このうち漱石の句は、空想の作で、よほど老衰した虻でないと事実としてはあり得ない。いかにも漱石らしい奇抜に富んだ句である。
気仙沼市大島はヤブツバキの名所として知られる。花の最盛期には大勢の観光客がやってくる。島ではヤブツバキの種子を集め、粉砕して蒸し椿油を絞る。食用、調髪、機械油としては一級品で、土産物にして売っている。