タイトルに掲げた漢字の知佐はエゴノキの古名である。万葉集にも知佐の用字でうたう相聞が3首収められている。東北地方の山林で働く林業労務者が、今でもこの木をチサあるいは訛ってズサと呼ぶのは、万葉言葉が方言として残ったものであろう。
日本全国の低山帯に分布する落葉小高木でエゴノキ科に属し、高木性のハクウンボクも同じ仲間。県内では里山地帯の雑木林の内部にかなりの密度で混生し、特に湿り気のある沢筋に多くみられる。
今の時期、谷間の山道を歩いていると、突然足もとの地面や沢の淀み一面に、白い花びらが敷物のように散らばっている光景によく出会う。反射的に上方を眺めると、そこには枝一杯に花をつけたエゴノキが、あたかもシャンデリアのように覆っている。その咲き乱れる姿は、まさに壮観の一言につきる。
エゴノキ(Styrax japonica)は、植物分類上合弁花に分類される。したがって花弁の先が5つに分かれた筒状花が、そのままの姿で花柄とめしべを残して地上に落下する。その大量に散り積もる風情は、詩人の感興をそそるらしく、次のように歌われる。
エゴノキの花は一日花である。豪華絢爛に咲き続けているように見えても、一つ一つの花は朝に開くと夜には散る運命にある。万葉人はこの短命な花の移り変わる現象をよく観察していたようで、次のように詠じている。
命がけで愛しているのに、あの散り易いエゴノキの花のようにあなたの心は私から移ってしまったのでしょうか、と花に寄せて男の心変わりを嘆いている歌である。
エゴノキの花が散り終わると、小枝に残った花柄の先につく花柱は成長を続け、初秋には直径1cmぐらいの卵形の果実に成熟する。この実はヤマガラの好物としてよく知られる。ただし、実の内部には、エゴサポニンという有毒成分が含まれるので、人間が食べると胃腸障害をひき起こす。また、この実を砕き、小川に流して魚を捕った思い出もある。エゴノキの語源は、実を舐めると喉が刺激され、東北地方の方言でエゴく感じるからといわれる。
エゴノキの材は有用で、いろいろな面で里山の生活に取り入られている。樹皮は滑らかな濃紫色であるため、そのままの状態で床柱や天井材に使われ、材質は緻密にして白く、加工性にも優れるので彫刻、細工物、木櫛、将棋の駒、こけし、玩具など実にさまざまな用途に利用されてきた。また、細くて長い枝は可撓性に富むので、農作業に使う箕や魚をすくう網などの縁枠には欠かせないものであった。
エゴノキには、ろくろ木という俗称がある。そのいわれは、和傘の先につける轆轤(ろくろ)はすべてエゴノキの材を用いて作ったことによる。ろくろとは、傘の柄の先の骨の集まるところに固定して、傘の開閉をする臼形の小さな器具である。蛇の目傘などの和傘は、昨今では民芸品のような存在になり、そのろくろを知る人も少なくなった。*1
イギリス海岸:北上川の川岸で、そこを散歩するとまるでイギリスの白亜紀の海岸を歩いているようだと、宮沢賢治が名づけた。通常は川の水で覆われているが、渇水期になると、白い川岸が美しく浮かび上がる。