俳句での四季の始まりは、立春、立夏、立秋、立冬。もちろん中国から伝来した二十四気に依拠しており、多くの歳時記もこれに従う。だが、この中国の暦は陰暦を基準にしており、太陽暦が定着したわが国の生活実感とは、多少のズレが認められる。例えば、寒さの厳しい2月初めの立春や、猛暑が続く8月上旬の立秋など。
このような矛盾を解消することを目的に、日本気象協会では、現行日本の太陽暦と調和する新しい季節感のある言葉を選ぶことになり、一般公募を実施した。その結果、1600の言葉が寄せられ、これらを有識者や俳句関係者らに諮り、検討を重ねて、現代版「季節のことば36選」を決定し、つい先日発表した。36選とは、各月3題ずつを選んだ年計。因みに、5月の新しい言葉は、「風薫る」、「鯉のぼり」、「卯の花」であった。
国見峠の北西方向に展開する新興団地には、トチノキの並木通りが多い。市内の中心部より積雪量が多く、寒冷な季節風が吹くことを考慮して、耐寒性のある樹種を選んだものであろう。その期待に違わず順調に成長し、整然とした都市景観を形成している。街路に植えられたトチノキは、例外なく直通で一本立ち。風薫る5月、幹の上半分に枝葉を繁らせ、天狗の団扇に似る大きな葉の上に、シャンデリアのような花序を上向きに咲かせている。
雪国育ちの斎藤茂吉は、トチノキの大木の若葉に吹く五月の風を次のように歌う。
「諸向く」は、あちらもこちらも向くという古語。
トチノキの並木といえば、直ぐ、パリ・シャンゼリゼ通りのマロニエの並木が連想される。ルネ・クレール監督の映画「パリの屋根の下」の主題歌で一躍有名になったが、実のところ、このマロニエはトチノキとは別種のセイヨウトチノキ。トルコなど南東ヨーロッパの原産で、花は淡紅色、果実の外皮に刺があるので区別できる。
トチノキ(Aesculus turlinata)は、沖縄を除く全国の山地に自生するトチノキ科の落葉高木。巨木になり大きいものは胸高直径1.5m、樹高30mに達する。本県では、主にブナ林地帯の沢筋に生え、カツラやサワグルミなどと渓畔林を形成する。自生地は、岩石や土砂の堆積する湿性地で、林床にはミヤマイラクサ(アイコ)、ウワバミソウ(ミズ)、モミジガサ(シドケ)などが多い。悠然とした樹型が好まれ、公園や街路の緑陰樹としても植栽される。
トチノキの属名は、ラテン語のaescara(食べる)からきており、果実(種子)を食用や家畜の飼料にしたことに由来する。トチノキは、わが国の固有種であるため漢名はなく、通常、栃の木、橡、七葉樹と書く。本種は栃木県の県木に指定されている。
5月初旬、大きな掌状複葉を枝先に広げる。葉柄は長く、対生につき、複葉は5~7枚。それぞれが楕円形で、中央のものが最も大きい。花期は5月下旬、葉の繁みの上に大きな円錐花序を作る。一房につく小花は約100個、雄花と両性花が雑居し、花弁は5枚、白色で上方に反り返る。
有用な蜜源植物で、最高級のロイヤルゼリーは本種の花から採取したもの。トチノキの開花は、桜前線と同じように南国から北上していくが、それを追いかけるように養蜂業者も移動する。
トチノキは老木になると根元付近に多数のコブを作る。この部分を製材すると、美しい杢が現れる。これを「縮れトチ」と称し、衝立や細工物に賞用される。
俳句では、「栃の花」が初夏の季語。だが、トチノキは山奥にしか生えていないため、昔は杣人(そまびと)以外に開花の状況を知る人はいなかった。従って、「栃の花」が季題として使われるようになるのは、山地へのアクセスが容易になり、また市中に緑陰樹として導入された近世に入ってからのこと。以下の句は、昭和期に作られたものである。
二人は師弟関係にある。師筋に当たる波郷は、太平洋戦争に応召し、病を得て帰還、その後、長い入院生活を余儀なくされたが、その療養吟は現代の古典といわれ、昭和俳壇に大きな影響を与えた。第1句の「はつはつ」は、わずかの意を持つ古語。波郷門下の麦丘人は、師の作風とは異なり、日常の生活感情を素直に諷詠する句が多い。
第1句は、トチノキの自生する自然環境の様子を詠み、第2句は大樹悠々とするトチノキの風格を歌う。ともに明治生まれで、大正、昭和の俳壇で活躍した才媛であるが、物凄いライバル関係にあり、仲も悪かったようで、久女には「虚子嫌いかな女嫌いの単帯(ひとえおび)」の句がある。
ついでにトチノキの種子についても触れてみたい。10月下旬になると直径4cmほどに成長した蒴果が3裂し、中からクリに似た赤褐色に輝く種子が顔を出す。この実には、多量のデンプンを含むので里山の人たちはこれを拾い、手間ひまをかけて渋抜きをしてからトチ餅やトチ団子を作り食用にした。わが国の縄文時代には、このトチの実が主食であったようで、本県の七ヶ宿町小梁川の遺跡から貯蔵されたトチノキの種子が多量に出土している。
このように、栃の実と日本人との付き合いは古かったため、「栃の花」とは違い、江戸時代から「橡の実」は、秋の季語として詠まれている。
第1句の芭蕉が詠む「木曽の橡」は、名物のトチ団子と思われる。